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2度の大戦とクリスチャン


軍国主義の日本


天皇を中心とした国家主義政府の下、日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦いました。富国強兵政策の軋轢で生まれたひずみを直すため、社会問題に取り組むクリスチャンが現れました。賀川豊彦や吉野作造らです。

しかし日本の軍国主義は暴走を始め、1931年に満州事変、1937年に盧溝橋事件が起って日中は全面戦争に突入。1941年末には真珠湾を攻撃して、アメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告しました。日本はこれを八紘一宇の聖戦と呼び、天皇の指導によってアジアを西洋列国の侵略から守るのだという大義名分を打ち立てました。

この挙国一致体制の中で1939年に宗教団体法が施行され、日本基督教団が成立し、日本の教会は海外と断絶、対立するようになりました。


日本基督教団の成立


1941年6月、当時日本にあったプロテスタント教会の34教派が一つとなり、日本基督教団が成立しました。創立総会においては、「われら基督教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に中世を尽くすを以って第一とす」という宣誓がなされました。

また初代統理として選ばれた冨田満は1942年、日本基督教団の発足を報告するために伊勢神宮に参拝して希願を行いました。国家主義の強い圧力があったとはいえ、全国のプロテスタント教会をまとめた教団の最高責任者が、その発足を神前に報告せざるを得なかったところに、国家神道と結びついた体制に、キリスト教界が組み込まれていたことが窺えます。


戦時下の弾圧


戦時下では厳しい思想統制が行われ、外国寄りの宗教だとされるキリスト教に対しては、迫害が加えられるようになりました。1933年美濃ミッションが神社参拝を拒否して弾圧を受け、1942年からはホーリネス教会系の関係者が一斉検挙されました。

これらの根拠となった治安維持法は1925年に発布されたものですが、1941年に改正され、神社や皇室を冒涜する虞(おそれ)があるというだけで処罰の対象とされました。このホーリネス系に対する弾圧事件では獄中で死亡した牧師もおり、これはプロテスタントでは最大の弾圧事件となりました。

ホーリネス系の教会に対する一斉検挙について、日本基督教団の幹部は、同じ教団に属しているにも関わらず、当局の処置を英断だとする発言をし、迎合する態度を取りました。また日本基督教団では国内や海外で戦争に協力する体制を進んで取りました。


日本の敗戦


1945年に入り日本の敗色は一層濃くなりましたが、7月28日、鈴木貫太郎内閣は日本の降伏を促すポツダム宣言を拒否しました。そして広島、長崎に原爆が投下されるに至り、8月14日の御前会議でようやくポツダム宣言の受諾が決定し、8月15日の天皇の勅書により、日本は連合国側に無条件降伏しました。

1986年になって日本基督教団は、戦時下での誤った処置を認め、関係者及びその家族を教団総会に招いて公式に謝罪しました。そして現在に至るまで2月11日を贖罪の日とし、戦争責任を認めて悔い改め、決意を新たにする礼拝を捧げています。




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